「豊かに老いる 」を自ら示してくれた日野原重明氏からのメッセージ!


7月18日に日野原先生がお亡くなりになりました!http://www.sankei.com/life/news/170718/lif1707180004-n1.html

日野原重明先生の本を読んだ方はたくさんいると思いますが
「豊かに老いる」とは
最後までよりよく生きる事だと自ら示してくれたと思います。

「いくつになっても人にはミッションがある」と繰り返していた日野原氏!
そして 日常生活では
体のみならず 心の安定を目指す姿勢を 示して来ました。

改めて 先生の本を取り出し
先生からのメッセージを再確認しました。
「きりのない願望が あなたをしあわせから遠ざけます」
「不幸には過敏、しあわせには鈍感」
「しあわせは目的ではなく結果でしかない」
「よい出会いがある。それはあなたの才能です。」
「仲間で群れ合っているかぎり、人も社会も成長しません」
「知恵は、伝えなければ持ち腐れに終わる」
「面倒でも手をかけなければ 家族は冷え切ってしまう」
「失うことを恐れるより 与えることで喜びは生まれます。」
・・・・・

先生のご冥福をお祈り申し上げます。

私が以前書いた日野原先生のこと ↓

https://akisekkei.wordpress.com/2016/10/04/%E3%81%BE%E3%81%A0%E8%A6%8B%E3%81%AC%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%AE%E8%87%AA%E5%88%86%E3%82%92%E3%81%95%E3%81%8C%E3%81%99%EF%BC%81/

これからの住まいのカタチ

住まいへの意識は デザイン・間取り・価格 などのハード面から
安全・安心・立地などの ソフト面を重視し
地域社会との関わりを上手に深めたいと考える人が増えています。

住むということは 必ず 近隣などの人間関係がついてきます。
ですから 地域で 孤立しないことが とても大切になってきます。

地元に知り合いや友達がいないということは いざという時に頼れる人もいないし
楽しい安心した暮らしとは言えないと思っています。

昔は 地域の人が自然と集まる場所がありました。
そこでは 自分のお稽古事ができたり また教えることもできたり
年配者が 遊びや自分たちが持っている知恵を伝えていく場でもありました。
ちょっとの間 子どもを預かったり お互いにちょっとしたことを助け合う関係が自然とありました。
隣近所の人の顔を知っていることは 当たり前だったからです。

今は 近所に安心して子供を預けられる場所も中々見つからず そんな所があったらいいなあと思いつつも 隣近所との付き合いは希薄になっているのではないかと思います。

住む人がどういったコミュニケーションを望み 何をしていきたいか
その思いを実現できるように そのきっかけができるように お手伝いしていきたいとおもっています。

年齢や家族構成が変われば 求める生活は変わります。
環境やコミュニティーを変えずに 自分らしく暮らし続けることは どうしたらできるのか どんな準備や心がけが必要なのか そんなことをサポートしていきたいと思っています。

単身世代・子育て世代・アクティブシニア世代・介護世代
それぞれが安心できる暮らしのために それぞれが交流が持てる暮らしができることが
住み慣れた我が家でずっと暮らし続ける秘訣なのではないかと思っているからです。

 

私が80代まで仕事をしようと思った理由!

今 私は80歳代になっても仕事をしていたいと思っています。

それは 自分が作った会社を創業50周年まで持続させるために 頑張ろうと思ったからではありません。

私が80歳代まで仕事はできるだろうと思えたから
会社の創業50年が目指せると思った…という逆の発想が本当のところです。

私が80歳でも仕事はできると思った訳は   自分の90歳の母からのアドバイスがあったからです。

そして その言葉は母を見ていて 私自身が実感できたからです。

何かを もう辞めようと思った時から 人間のその成長は止まる、いや、衰えていくのです。
頭を使わなくなったとたんに あらゆることが忘れっぽくなり
つい最近まで覚えていたことさえ 忘れてしまうのです。
身体がそういう司令を出して機能してしまうようです。

90歳になると 気持ちとは裏腹に 気力を維持するという体力も落ちるそうです。だから 母は私に 「85歳くらいまでならば なんでも普通にできるはずだ」 といいます。

私の母は 現在90歳ですが 日常の生活は すべて自分でできます。
銀行にも 美容院にも そして病院にも 一人で行きます。
最近までは 能の舞台で シテ(能の主役)として謡(うたい)を披露していました。
舞台では 着物を着て 背筋をしっかり伸ばして 声にもハリがありました。しかし 80代の後半から 一緒に謡っていた自分より歳下の仲間が 次つぎと亡くなり 謡が楽しくなくなってきたので もう辞めようと思ったそうです。そのとたんに 頭の回転と気力が 急に衰えたそうです。

また 夫の義母も 一昨年88歳の卒寿のお祝いをみんなにしてもらったとたんに
自分は 歳をとったのだと意識してしまって 体力の衰えを感じ始めたそうです。義母も まだ週2回の水泳と 日曜日には教会でボランティアもしています。スマホもLINEもパソコンも活用している今年90歳になる今どきのお婆さんなのですが・・・。。

ふたりの母たちから そんな話を聞いてから
我が家の環境では 88歳までは元気に生きられ 仕事もできると思ったのです。

だから 80歳で仕事をするということはそんなに難しくはなく
好きなことを楽しく仕事にしていれば良いのだと 気負いなく感じられるようになりました。
だから できる限り 現役で仕事をして 頭を使っていたいと思っています。
そう、人生100歳の時代をどう生きるかは 気力という体力を持ち続けることがとても大切なのだと考えるようになりました。

私の人生これからが本当のスタート!創業50年を目指します!

会社のリーダーは何をするべきなのかを 身体で感じることができる様になってきました(^^)
ちょっと というか  かなり遅いかもしれませんが〜笑

これからは よりシンプルに 自分がやるべきこと、やりたいことだけに集中して行動し
元気で明るく歳を重ねていきたいと改めて思っています😄

だから これからが 私の本当のスタートなのです!

今年は 設計事務所 創業30年、
株式会社を設立して11年目!

私は建築士として 設計という仕事を 思いっきり楽しみながら  ずっとしてきました。
それはそれで自分の夢を実現できて とても幸せでしたが…

でも目の前のことに 一生懸命で リーダーとして  社長として ミッションへのこだわりが  今まで 足りなかったことに気がついたのです。

自分の成長が もっともっと必要だということにも気が付き
成長したいという気持ちが楽しみに感じられるようになりました^^

そして創業30年は 時間の流れと 経験の積み重ねだけと 今の私には感じる様になりました。

今までは  好きだった建築設計を大いに楽しく仕事させてもらいましたが
これからはミッションをより大切にしながらビジョンに向かって 頑張りたいと思っています。
だから 20年後の 創業50年を目指して 次のステップを歩むことに決めました!

これからまた20年先ですよ〜 私は80代になっているのです!

でも 今の私には 「歳を重ねることはいろいろな事が分かって 本当に楽しいわ~」って言っている20年後の自分がなんとなく見えてきました^^

人生100歳の時代ですものね、まだまだ 楽しまなくては〜と思います。

歳を重ねたから分かるライフスタイルアーキテクトとして
コンサルタントとして 自分を活かしたいていきたいです!(^^)

夢や目標は 幾つになっても 本当に大切です〜😄
比較がかなり違い過ぎますが 20年後のトヨタも楽しみ~^^

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いくつになっても たまらなく幸せな人生とは?

人生の幸せは  人によって違います!

でも もし共通の概念があるとしたら
自分の存在価値を自分自身が感じられることではないでしようか?
私はそう思います!

自分が生きていることで 自分と出会えて 良かったと思われる
自分が生まれてきたことで 誰かの心の幸せになれる
今 自分の存在が誰かに認められていることを感じられる
それが幸せ感になると思います。

それはロボットにはできない 人間だからできる事かもしれません。

主要国の社会では AIの世界に加速して突入しています。
ロボットの存在は これからいろいろな分野で必要とされ 活用するべきだと思います。

でも 私は こんな時代だからこそ
人間だからできること、人間にしかできない喜びを大切にして暮らしを考えていきたいです。

いくつになっても 自分の存在意義を感じられるような生き方ができるような暮らし方を
これからもサポートしていきたいと思っています。

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週休3日.子育て優先〜自分がどういう職場で働きたいか〜を実行してきた!

 

 

日経アーキテクチュアに「ホワイト職場」として 弊社が取り上げられた事をとても嬉しく思います。

今、  長時間労働や働き方が社会問題となっています。
建築業界は  特に長時間労働が多く 「 ブラックな職場」のイメージが強い様です。

でも 時代と共に働き方は   できることから変えていくべきだと思ってきました。「これが普通」「これは当たり前」という考え方に疑問を感じたら   まず小さな事からでも変えていくことが大切だと思っています。

「ホワイト職場」と呼ばれて  建築設計事務所として今年創業30周年を迎える弊社は ご褒美をいただいたようで とても感謝しています。

これからも  こうだったら良いなと思う事を  仕事の上でもどんどん 実行していく会社でありたいと思います。そして 弊社が 人の役に立ち あって良かったと思われる会社として継続できるように 頑張りたいと思います。

 

 

親の介護をしている今、考える事!

親の介護当番の日!
私は 96歳の父の好きな歌を ピアノを弾きながら 一緒に歌います😄
父が覚えている歌は  ほんのわずかだけ〜 戦時中の日本の歌か 20代だった頃の歌(^^;;
でも 父は本当に幸せそうです! 実の娘の私の名前も分かりませんがね(^^;;

それでも 今は 父が楽しいこと 好きなことをしていられれば良いと 私は思っています。

2年前までの父は 90代でもまだまだしっかりしていました。しかし 一人で薬局まで薬を取りに行く時に 近所の道で転んで 骨折してしまいました。たまたま通りかかった親切な方が すぐに救急車を呼んで下さいました。そこから父の入院生活が始まりました。
しかし 入院生活が続いたら だんだん認知症になってきてしまいました。骨折の手術の経過も悪くて 院内感染にもなり 食事も食べられない状態になり ガリガリに痩せて 点滴だけで命を繋ぐ危篤状態になりました。私たち家族は 予想外の入院から 父の最期をどう迎える事が良いのか 悩み考えました。

あと1週間もつかどうか分からない状態で覚悟した方が良いかもしれない…そんな医者からの言葉を貰った時に 父には 病院の天井ではなく  住み慣れた自宅の天井を見ながら最期を迎えさせたいと思いました。それから医者には無理と言われながらも 家族みんなが同じ気持ちだったので 強引に自宅に連れ戻しました。そして すぐに訪問診療の医者や多くのヘルパーさんや看護師に来てもらって 自宅で父の最期を迎える準備をしました。

あれから2年が過ぎました。
3姉妹で決めた介護当番の日は 私も朝早く実家に行き 介護を一日中します。今の父は 私のことは娘だと はっきり分からないし  下の世話をするたびに ごめんなさい と他人の様に謝ります。毎日いろいろなヘルパーさんにも来て頂いているので とても助かっています。
2年前からの訪問診療の医者には  今の回復が本当に信じられないと言われています。一日に20人近い訪問医療に携わっている医者からみても 我が家は素晴らしい家庭での介護だといわれました。でも このまま家族だけで介護を続けることは かなり無理が出てくるだろうと最近感じています。

私は 長年 仕事で「暮らしサービス」として お客様の介護にも関わって来ましたが 父の介護で 家族の気持の問題や人の最期などいろいろな事をより深く考えさせられます。たくさんのヘルパーさんにもお世話になっているので ヘルパーさんの声もたくさん聞いています。

そして思うことは 今のままの日本の介護制度がこれからもずっと続く など あり得ないということです。若い働き手であるヘルパーは どんどん減っています。

そして   人の最期の迎え方は どうあるべきなのか 自分ならばどうしたいのかということを考えさせられています。どう備えておけばよいのかは それぞれがしっかり考えておかなければならない事だと思います。

わが家の隣の公園の桜は 樹齢63年!
毎年 美しく満開に咲き 人々の心を癒してくれています。
そして 見事に 美しく散っていきます…!